Own Locks

「オレからアドバイスがあるとしたら」
自分の秘密基地の場所をばらすように茜は口元に人差し指を立てた。
「あいつのことはくらげと一緒だと思えばいいよ」

くらげ、と言われてまず思い浮かぶのは海に浮かんでいるあれだ。
その次に、共通の知り合いの子供思い出す。白く柔らかい髪に白く柔らかい肌、海のような青い目に、ビニールカッパと水鉄砲、ポークパイハットに白の半袖シャツ、マゼンタの濃いピンク色のネクタイ、黒の半ズボンをサスペンダーで吊って、白い膝小僧の下に長靴という独特のドレスコード。
茶目っ気たっぷりの笑顔で路地裏を駆け抜けていき、社会的には危険人物な大人たちと渡り歩く子供の名前はくらげ。
それと同じに思えばいいとはどういう意味だろうか、とリチャードは少しだけ眉根を寄せて目を細めた。

 

事務用の椅子に膝を抱えて体育座りをしたまま茜はモニターを眺めている。それはいつも通りの習慣そのものだった。いつもと違う点は、そこが自分の部屋(当然のように居着いているニキの部屋)ではなく、同じくモニターを眺めている人間が横にいるという点。見ている対象はいつもと同じニキと、いつもと違う対象はフィクサー。

(いや、こっちは『フローレンス』か……)

米国で確固たる地位を確立し、英国の後ろ盾を持つ組織の頭領が保護室の片隅で膝を抱えている様は想像していなかったが、その原因の一因が自分にあると気づいてしまうと、茜はさすがに不憫になってきて、病院内の自販機で買ってきたカップのコーラをちびりと舐めた。横で同じく事務用の椅子に腰掛けてモニターを見つめている青年の横がを見やる。
そこにいるのはリチャード・ソーン。フィクサーの恋人であり、カウンセラーである。この病院のルーキーとして将来を嘱望もされている、有能でまっとうな青年が暗黒街の一角に葉巻を咥えて猫を膝に乗せて尊大にふんぞり返ってプレジデントチェアにでも座っていそうな一マフィアのボスとそんな関係になっているのは不思議にも思うが、それは別の物語だろうと思考を変える。

コーラは炭酸が抜けだしていて、少しばかり温くなってきていて、挙句氷が溶け出していて、コーラだったものになりつつあるが、それもそれ。気にせず茜は飲み込んだ。

幾つか並ぶモニターは精神病院の患者の動向を確認する為につけられた物で。

「なあ、先生」

茜は落ちてきた前髪を再び持ち上げて結び直す。
何です?という顔を向けてきたリチャードに茜。
「後でいいんだけど、フィクサーに伝言があるんだけど、頼んでいい?」
「構いませんけど、何です?」
「すげぇ簡単なこと。だけどオレが言ってもあんまり効果ないかもしれないからさ」

リチャードの疑問符に茜は口元に指をあてて告げた。

「? どういう意味です?」
「まんまの意味さ」
茜はさも楽しげにモニターを眺めながら、椅子に腰掛け直して頭の後ろで指を組み合わせた。リチャードがニキから取り上げた携帯端末のロックを解除する。ニキがやりかけていたゲームが復活するが時間切れでゲームオーバーの画面に切り替わる。その得点に茜は吹いてから、自分の服のポケットにそれを流しこむ。
リチャードも自販機で買ってきたコーラを飲みながら、茜の次の句を待つ。
茜がにやにやと意地悪く笑いながら眺めている先のモニターにはニキが写っている。暴れる可能性がある患者の安全と、周りの人間の安全を確保する為に作られた保護室の中で、クッションだらけの壁に囲まれて、物珍しそうに足元を確かめている様子を見ながら、茜は笑う。

「あいつはただの馬鹿なガキだよ」

気づいてしまえば酷く簡単な事なのだ。
茜の言わんとしている事を飲み込み切れなかったリチャードはカップに口をつけたままだ。
茜が空になったカップを銜えながら器用に解説を加える。

「せんせーさ、くらげちゃんが病院の廊下走り抜けて、止まれなくてワゴンに突っ込んだらどう思う?」

「どう……って、『あーもう、しょうがないなー』とか、『だから走っちゃダメだって言ったのにー』とかかな?」

「だしょ?」と口から落としたカップを受け取って、茜。「それと同じって言うとまあそれはそれで問題あるんだろうけど、くらげちゃんに悪いし、くらげちゃんは馬鹿じゃねぇしな。でもまあ、そんな感じだよ」

茜の楽しそうな目がモニターを一瞥する。保護室の中をうろついているニキと、隅で膝を抱えているフローレンスを交互に見てから、呼気に吐息を小さく混ぜた。

「まあ、アレさー。なんてえの? せんせーならもうわかってっかもしんねーけど、オレが言うのも変なんだけどさ」
上手い言い回しはを探して、茜の指が紙コップの縁をなぞる。あの保護室のプロテクトを解除するコードなら3分と掛からずに書けるというのに、対人になると少々(大分)勝手が違う。言葉を探す――
「Er nicht normal aufwachsen.」
言葉を探しすぎてドイツ語になってしまった。
(やっべ)と思ったのには二通りの理由。
理由1.別段バレて困るわけではないが、出自に関する情報である事。
理由2.単純に通じねえじゃん、という事。
でもまあ、と思い直す。相手は優秀で有能な医師である。

「まあ、それはそうだろうけど」
茜の言わんとしたことを理解したリチャードが苦笑した。
「普通に育ったら、ああはなりませんよ」

「まぁ、なんてーの? 専門家に言う程ってか何だけどさ、なあ? 釈迦に説法っつーかさ、だけどさ? 気にすることねぇんだよ。アイツは何かこう、人が普通にコミュニケーションを取ってやりやってくる程度の事とか、そーゆーのをすっぽかして来てる残念な奴だからさ。人の気持ちとかそういうのわっかんねー、その辺のちびっ子とかわんねぇから、気にすることねぇんだよな、フィクサーもさ」

「そうは言ってもねえ……。
フローも、頭ではわかってるんだろうけど、中々難しいんだよね」

専門家を前に何を言ってるだろうと、気恥ずかしさが湧いてきて、茜が空になった紙コップの縁を噛む。
目の端でフィクサーことフローレンスを見る。なんだかあんまりにも可哀想な気がしたのと、カードの相性が悪すぎる事に、観客として面白くなさを感じたのと、
単純な嫌がらせから、

「じゃあ、もっと簡単な方法。せんせーだけに教えてやるよ」
今度こそ、秘密の技を教える悪童じみて、茜はリチャードに囁いた。
「この裏ワザはお兄ちゃんミゲルも知らないんだぜ」

後日。
仕事帰り、スーパーマーケットで買ってきた夕飯を入れた紙袋を片手に抱えて、リチャード・ソーンは帰り道を歩いていた。
紛うことなき一般人の帰り道姿と言った様から、彼がどこぞのマフィアのボスを保護室に放り込める度胸と器量と実力を持っているとは伺い知れない。
と、フェンスの横を歩いていて聞こえた日常的ではない音に首を巡らせる。上を走る高架、それを支えるコンクリートの壁はストリートアートのキャンバスと化し、侵入者を除外しようと建てられたフェンスを嘲笑っている。その合間。見える人影。複数。遠目に見える動きから喧嘩だと知れる。一般人たるリチャードは早々に立ち去るべきであるが、ソーン医師は怪我人がいるかもしれない状況を看過するのを良しとしなかったので、足を止めて、怪訝な表情を浮かべて見せた。
足を止めてみれば、複数対単体というのがわかった。そして、その内の一人に見覚えがある。できれば恋人に近づいて欲しくない人間。遠目にも鮮やかな赤い髪。ため息を吐きたい気持ちに、彼の保護者然としているヒスパニックの弁護士の事を思う。
ただの喧嘩ならいいか、と思う。見ている限りでは――本格的な訓練を受けた人間から見れば――ただの喧嘩に見えた。人を殺す事を目的とした格闘術の気配はない。だから少し見守ってしまう。殴り殴られ、蹴り蹴り飛ばし、よくある街角の喧嘩――

(あ)

と、そこでリチャードは紙袋を落とした。落とした拍子にスパークリングウォーターの瓶が割れて広げる泡立つ水たまりを他所に走りだす。

勝杯はニキに傾いているようだった。
ニキの膝が相手の顎を打ち抜いて、横から食らったタックルの主に対して肘を脳天へと落とす。崩れて落ちていった男の顔に脛を叩き込み、後ろから振り下ろされたガラス瓶に一瞬意識を手放すも、振り返り様に後ろにいた男の首元の中指を尖らせて握りこんだ拳を遠慮も躊躇も、手加減の類も何もなく全力で。
くぐもったうめき声は彼の鼓膜を揺らさない。飛び散った血に向ける視線もない。非情とは違う。単純で純粋なる無関心。
他人を傷つけることに呵責を覚える良心の不在。善悪の無さは子供の無邪気さに似ているとも言えなくはない。ただそれは子供が持つが故に――自身の行動からの結果を予測できない、暴力とも呼べない脆弱な腕力だからこそ許されるのであって、
それをそのままにして来たということは、殺意もなく人を殺せるということであって。

ニキは周りに崩れ落ちた相手達の真ん中に立ち、鼻血を服の袖で拭う。口の中に溜まった血と唾液を吐き捨てて、最後に残っていた敵にうっすらと微笑んでみせる。リチャードの位置からも見えたそれは、見つけた綺麗な蝶の羽を毟る子供のそれに見えた。通常であれば、それは駄目だと親なり大人に教えられるのだ。

『そーゆーのをすっぽかして来てる残念な奴だからさ』

先日の茜の言葉を思い出す。それを茜は楽しげに語ってみせた。
蝶の羽を毟る様を茜は楽しげに眺めているようにも思えた。

先日、茜に教えられた裏ワザを思い出す。
半信半疑であったが、躊躇している余裕はないが、力づくで止めるには距離がある。

対してニキはリチャードの登場にまだ気づいていない。彼とリチャードの間にはまだ立っている人間がいた。その敵に向かい、ニキが地面を蹴飛ばす。躊躇なく、頭部を狙う蹴り。よろめいた相手に対して追撃の大勢に、リチャードが叫んだ。

「――ニキ!!!」

出しうる限りの大声で叫べば、呼んだ先の視線がこちらへ流れた。一瞬だけ、目が合った。微笑われた。辞めろと言いたいのは通じたようだが、辞める気もないようだった。楽しい遊びの最中に入った遠い茶々だと、彼は気にしていない。
その態度にリチャードの温厚のマスキングが剥がれる。王者たる威厳を握りしめたまま、息を吸い込んで、腹から怒鳴る。

「――めっ!!!」

叫んでから、沸騰した羞恥がリチャードの頬を染めたが、効果はあったようで、きょとんとしたニキは止めを刺そうとした体制で止まっている。
(……ホントに効いたよ、茜さん……)
呆れながら、自分の恥ずかしさも合わせて咳払いで払うと、リチャードはつかつかとニキに近づいて、その襟首を掴んで、ぺいっ、と脇に投げ捨てた。
「は?」
今更、そんな声を上げたニキに対し、リチャードは、今になってこみ上げてくる笑いを噛み殺す為に表情筋を必死に駆使しながら、真面目ぶって告げる。
「ニキくんはそこでじっとしてなさい。やり過ぎです」
不満そうな彼に対し、
「ダメです。そこまでです。めっです」
ちえー、と詰まらなさそうなニキだったが、確かに効果はあるようで、てきぱきとリチャードは辺りで転がって呻いている怪我人を診る。死人は出ていなかった。その事に安堵して、次いで遅れてきた驚愕と、復活した笑いたい欲求に、腹筋に力を込めながら、リチャードは肩にかけていた鞄から応急処置用の医療キットを取り出して簡単な手当をし、やはり一抹の不安が残るので911に連絡した次いで、(やっぱり、こういうのは『お兄ちゃん』にお願いしよう)そこにしゃがんだままのニキに顔を向け、笑顔で携帯電話を耳にあて、
「――あ、ミゲルさんですか?」
逃げようとしたニキの襟首を素早く掴んで、状況を告げ、デジタルにも伝わる怒気にひび割れた「YES」を聞いて、通話を終える。
げんなりとした様子のニキにリチャードは100%善意でマスキングした笑顔で応える。

「じゃ、ミゲルさんが来るまでの間に、ニキくんの怪我を診ましょうね」

茜曰く。
「ガタガタ御託並べるより、名前呼んで『メッ』って言った方が通じるんだよ、あいつ」
「――め?」
「日本語で、『NO』の単略語? まあ、そんな感じ。犬猫にダメ!って言うノリで。内緒だけどな」
しーっ、と指を立てて茜は片目を瞑ってみせた。

“Own Locks“ based on One’s Looks written by Yomo.
thanks, Hemu, Ramuta, Istura, and Yomo.
BGM Nano “Born to be”.

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