Пустой аквариум

 どこまでも直線を目指してまっすぐに。

 その一途な推進力は人の命を、時にあっさりと引き裂きぶちまけて、時に多大な傷跡を残すものの命を奪いはしない。
そこを分ける線は加害者の能力(幸運)か、それとも被害者の幸(悪)運か。

 元より人を殺傷するために、人によって作られたその武器が放つ攻撃の前に、肉の塊も鉄の塊も無力。

 切り取り拡大された世界の中で、三つ並んだ瓶ビールの一つが砕け散る。
スコープがなかったことにした距離は2km。それを煙草を咥えて眺めていた赤毛の青年ニキがその眠たそうな瞼を少しだけ持ち上げる。関心。

「ほら、どうだ。すげえだろう」

 VRグラスを被って世界を見ながら隣のハッカーが鼻を鳴らし、胸を張る。
「2kmだぞ、2km。お前だって当たらねえだろ?」

 ふふん、と薄い胸板を張る茜にニキはその何も写していなさそうな目を向ける。
「オリンピックかよ」

 その返答はイエス。茜が半分しか見えない顔で満面の笑みを浮かべ、
「でも真ん中狙ったんだけどな。その隣に当たっちまった。誤差修正が足りないか」
 唇をへの字に曲げた。ハッカーとは完璧主義者が多いものなのか、誤差の原因を計算し直す。

 二人が居るのはゴーストタウンの廃ビルの屋上、忘れられた電光掲示板の下。吹き抜ける風は冷たい。
ニキの指が伸びる。掴んだのは近くに置いたままの瓶ビール。煙草を持ったまま、眺める。茜のVRグラスから伸びるコードが繋がる狙撃銃XTG-170108。そのスコープからの映像を見た茜が、手元のラップトップを介して放った弾丸は2km先の的を当てた。よく行く銃砲店の店主が面白いものが入ったと言い、興味を持った茜に買わされたそれ。ニキ自体は茜のようにハッキングが出来る程のITスキルを持ち合わせていないので、それが凄いものなのかどうなのかはわからないが、隣のハッカーが喜んでいるところを見ると、(まあ、すげーんだろうな)。

「で、どう使うんだ?」

 疑問。Wi-Fi経由でも可能ということだったが、だからそれが何なのか、というアナログ思考。

「どうって、これだけ当たるんだったら、トラップとして仕掛けておくとか?」

「そこまで標的を連れてくんのか」

「面倒だな」
 確かにそうだと、茜が考える。「じゃあ、待ち合わせ場所を指定して、先にこれを仕掛けておいて」

「それ、必要なんだろ?」ニキが茜が被るVRグラスを指差す。「ばればれじゃねーの。隣の部屋とかに隠れんのか?」

「そうだなー。それで」

「これは設置してから移動して?」

「……面倒だな」

「面倒だろ」

「待ち伏せするなら行けるんじゃねえか? 相手のパターンを調べて、よく通るところに設置しておいて、部屋でぬくぬくしながら待ってれば良くね?」

「終わったら取りに来るんだろ?」

「そりゃあ、行くよな」

「どうせ行くんだったら、終わらせた時に回収した方がはやくねー?」

 ニキの眉間に寄った皺が言うのは――これ、使えなくね?

 茜は「ぐぬぬ」と唸る。「でもお前にできんのかよ」

「んなもん無理に決まってるだろ。キロとか、そんなんできんのフローちゃんぐらいだろ」

「お前、毎回怒られるのにその呼び方変えねえな」

「こっちのが面白い」

「その態度でこの間、リチャード先生にも怒られたろ」

「あいつ強えーんだよな。弾、当たるかな?
 あそこ潰すなら、フローちゃんと先生を狙うより、マオだろ。あいつがボスだ」

 その口が笑っている。愉しげに。見つけた蝶の羽をもぐ子供の笑顔はきっとこれだ、と茜は思うが、自分も似たような顔をしているのだろうとも思う。自分の顔が笑っているのを感じる。

「トカゲさん家のボスはフィクサーだろ。金払いのいいクライアントなんだから、あんまりからかってやるなよ。いつか」

(死ぬぞ)それを口に出せない。その権限を自分は持たないと茜は飲み込んだ。それはそれで見てみたいという欲求を否定できない。その死体に触れてみたら、どんな感触なのか、その死んだ肌を指で撫でてみたい――病んでいるのは自覚した上で、それを否定しない相手もまた壊れているのだろう。自分の理想が形になって、そこに温度を持って存在している事自体、まるきり夢のような話だといえるのだから。

 草原の丘でピクニックでもしているように、ライフルを肴に、廃ビルの屋上で酒と煙草を転がして。

(こいつの脳みそと直結できたらいいんだ)

 VRグラスから伸びるコードを指でなぞった。アカウントとパスワードがあれば――人体には存在しない。

「で、どうすんだコレ?」

 瓶ビールに口をつけたまま、ニキが茜を見たので、茜の思考ゲームは落ちた。

「どうするって――、どうする?」

 茜の関心は新しい玩具で何が出来るかであって、どうするか、ではない。アプリの中身に興味があっても、運用には興味がない。ニキの半眼が向けられる。目の前に馬鹿がいる、という目。

「……返品できるかな」

「無理だろ。そういう店じゃねぇーし」

 クーリングオフなどの消費者の権利は保証しない/何があっても顧客の情報をどこにも漏らさない――そういう店。

「――――いくらしたんだっけ?」

 VRグラスを持ち上げて頭に載せた茜が恐る恐る訊く。新しい玩具に興奮して舞い上がった茜はうきうきでそれを持ち帰った記憶しかない。値段を見た記憶と、支払った記憶もない。

 事も無げにニキが言う。「ZERO」

「はっ、タダ!?」

「いや、持ち金が」

「はっ、ゼロ!? 何でお前それさらっと払ったよ!?」

「お前がブツ持って店出るからだ」

 ぐうっ、と茜が苦鳴を漏らして頭を抱えるのを他所に、ニキの指がライフルに伸びる。アナログな人間にとって、そのデジタルな機能がどう有効なのかわからないが。

「お前なn」

 顔を上げて、茜は口を閉じる。咥え煙草のまま、その指がギリギリまで削られた鉄を滑っていく様から目が離せない。抑える手も、支える腕も、そのどちらにも走る刺墨も、その上に走る新旧の傷跡も、目に掛かる赤い髪も、その安っぽいプラスチックのような目がスコープを覗く横顔も――その口元が小さく笑っている。

 新しい玩具に興味を持ったのは自分だけではなかった。

 その配線が自分の頭の上のVRグラスに繋がっている。慌てて茜はそれを装着し直す。視界がスコープから見えた物に切り替わる。(今同じものを見てるわけだ)自分の意思ではなく調整に動く視界への違和感に、茜の胸が高鳴る。手元はラップトップの上にある。地図、高低表、天気の情報を呼び出せて重ねる――仮想と現実が混ざり合う。VRモニターにくるくるとデータが重なる。2km先のビルの上に置いたビール瓶2つ。ニキの指が引き金にかかった情報も茜の視界に重なる。自分のものではなく、他人のタイミングで弾かれる引き金。放たれた弾丸はビール瓶に当たらず、その後の壁に撃ち込まれた。

「惜しい」茜が言った。そして思いつく。「なあ、もう一回」

「当たるわけねえだろ」

「次は当たるかもしれないだろ」

 茜の指がラップトップを跳ねる。それを横目に、ニキが再度、スコープを覗く。狙う。今の感覚に、感覚で修正を加えていると、それに何か違和感を感じる。

「何してんだ」

 ニキが問えば、茜が笑う。「面白そうなこと♪」

 いつものことだとニキは相手にしないことにしたのだろう。それ以上返答はなかった。ただ向こうの的を狙う。
(タイミングを合わせるとかしてくれたら楽なのに)思うも、それは茜も口に出さない。(まあ、そこはそれ、というやつで)
 ニキはヘッドホンを着けたままだ。曲は流れていない。茜の指がもう一つのアプリを起動させる。お手製の盗聴アプリ。それから入る音が茜の耳に流れ込む。いつも聞いている呼吸音、心拍。自分だけが知っている癖がある。
(弾く時に小さく息を吐く)

 小さな口笛のように。
 それを合図に修正を送る。
 スコープ/VRグラスの向こうでビール瓶が弾け、中の液体と共に崩れ落ちた。

「「おお」」
 二人、思わず声を出す。

「ひっひっひ」愉快極まりないと茜が妙な笑い声を漏らす。「どうよ、当たったろ。2kmだぞ、2km。当たった、当たった」
 茜の指が宙に踊っている。歓喜。してやったり。やってやったり。カタストロフに表情筋が崩れる。
「どうよ、コレなら使えるんじゃないのか?」

「どうだろうな。有線?」

「無線でも行けるって取説にあったぞ」

「回線通るんなら、お前以外もアクセスできたりすんじゃねえの?」

「ああ……、それはありそうだな。逆にハッキングされたら厄介そう」

「それどこまでガードできんの?」

「うーん。まあ何か考えれば出来るんじゃないかって思うけど、結局これっていたちごっこだからなあ。すぐに次に新しい手を考える奴が出てくるし」

 ぶつぶつと思考を漏らしながら考え込む茜はVRグラスを外して、ラップトップのモニターに目を落とす。そんな茜を横目に、ニキは新しい煙草を咥えると、スコープの向こうが目に入った。

 瓶はもう一つ残っている。

 覗く――先程の違和感が茜の悪戯によるものだとしたら――その違和感を合わせて狙う――弾く。

「ん? なに? 当たった?」

 自分の思考に没頭していた茜が浮上して顔を上げる。返事はなかった。

「え、当たった?」
 茜がグラスを戻す。
 そこに立っているビール瓶はない。先にニキと置いてきたビール瓶。残りはこちらで開けて、その辺りに転がっている。
「マジで?」

「まぐれだろ」

 ニキが言ったので、茜は返す。「まぐれでも当てるとかねえだろ」

「どうせもう当たんねえよ」
 そういうニキにそれ以上の考えも実感もないようで、茜はまぐれの確率を計算しようとして諦めた。数字でどうにもならないモノの方が楽しい。デジタルをこよなく愛しているが、アナログへの愛着も捨てられない。全てがデジタルで済むのなら、数多くある人類の苦悩が半減するかもしれないと思う。どこまでも0と1で白黒を着けた世界に悩みはない。そこに予測外はあるのだろうか。どこまでも予測の内であるのなら、デジタルに意味がないような気がする。

 例えば何気なく書いたペンのインクが紙に溢れるような――そう再現することはできる。ただそれは起こすべくして起こすもので、意図せず起きるものではない。そこに悲劇も喜劇もあるだろうが、観測する側としては、観客としては、思いもよらない出来事の方が面白い。

 茜は笑う。ニキが飲みかけていたビールの瓶を奪う。ついでにその唇に噛み付いてやりたいが、瓶の口に噛み付いた。

「ゴーストさんは、まじ人間ですか?」

 茜にニキが返したのは呆れた声と顔。酔っぱらいを相手にする態度。

 酒に弱くない茜であっても、ニキのペースに合わせて飲めば酔いが回る。「案外、酔っ払ってた方が当たるんじゃねえの?」

「お前はいつも酔ってるようなもんだ」
 ニキの言葉に他意はない。

 茜は酒瓶の口に舌を入れる。
「人生にはアルコールが必要だよな。シラフじゃ生きてけねえよ」

 奪われたニキが他の瓶を開ける。「酔っぱらいめ」

 奪った茜は素知らぬ顔。「で、どうするんだ? コレ」

「まあ、悪くないんじゃないか。デジタル系は外すけど」

「意味ねえじゃんそれ」

「邪魔」

「今さっき当たったじゃん」

「お前が当てたんだろ」

 ダラダラと日曜日の真っ昼間に、捨てられた区画で捨てられた建物の屋上で、人を殺す玩具で遊びながらの、酒と煙草と。平和と呼ぶには殺伐としているが、幸福と呼ぶには気恥ずかしい。茜が話題を変える。

「つーか、スカピンでどうすんだよ」

「別に、珍しいことでもねーじゃん」

「そりゃそうだけど……それもどうなんだ?」

 茜が呆れる。確かに別に珍しいことでもない。この男は物や金に対する執着がおかしい。社会性が損なわれていることは人の事を言えないので言わないが。

「お前何にステ振りして来たんだよ」

「何の話してんだ?」

 ニキがヘッドホンを外して首にかけたので、茜はビールを舐めながら笑う。そうしている時は彼が自分の方を向いてくる確率が高くなる。本人にしてみれば、煩くなって外した以上の意味はないだろう。

「お前もうちょっと慣れろよ。何か不満あるなら、言えよ、直すから」

「よくお前ら平気だな」

 耳を掻きながら、ニキが言うので、茜は肩を竦めた。

「オレはお前ののがわかんねーよ。何、ノイズとか煩いわけ?」

 訊いてみたものの、返答がない。茜は軽く首を傾げる。何と言ったものか思いつかないらしく、ニキは眉間に皺を寄せている。

「頭いてーんだよ」

「それはどうにもならんけど、慣れたら平気になったりしねぇの?」

 度の強い眼鏡をずっとかけているようなものだろうか、と思うも想像の域を出ない上に、医療的には素人なので断言はできないのだが。

「どうせなら、きっちり診てもらったらどうなんだよ。したらオレのアップグレードがアップグレードするぞ?」

「面倒だな」

「お前の病院嫌いは筋金入りだなァ。何回命拾いしてるんだか」
 茜の苦笑をニキは見ていない。それでいいと茜は思う。

――オレが見てる。

 茜は空にした瓶を置き、茜は立ち上がる。
「今日はいい天気だなー。海でも行こうぜ。海岸線、バイクで飛ばすの、気持ちいいぜ、きっと」

「一人でいけよ」

 返答はいつも通り。ここからゴネてゴネて、思い通りにするのもいつもの事。

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